
僕には双子の姉がいた。誰よりも可憐で美しかった姉は、“男になりたい”と、いつも口癖のように呟いていた。
僕はなぜ、姉さんがそう口にしたのかを知っている。姉がその言葉を紡ぐとき、その視線の先にあるのは決まって僕か、あるいは祖父の姿だったからだ。祖父のように偉大なピアニストになりたいと願っていた姉にとって、華奢な体躯も、小さな手も、その夢を阻む障害にしかなりえなかった。祖父のピアノを受け継ぎたいと願っていた姉さんは、その夢を叶えることもできず、どこか遠い世界へ消えてしまった。
だからこの物語は、夢に破れた姉さんと、夢を抱く事すらなかった僕が、もう一度出会うまでの物語だ。
「art」という単語は「芸術」と理解されることが多いですが、元々は「技術」の意。それも、「徒弟的な制度によって継承されるタイプの職人的技術」を指す言葉で、その辺りで「technique」とはニュアンスを異にします。
だから、美術や音楽、さらには格闘技(martial arts)に当て嵌められるわけですね。
そして当然、この「art」という言葉には「身体性」が伴うことになります。
文書や図面でレシピを伝え、同じ手順を踏めば誰でも再現できるようなタイプの技術と違い、身体性を伴った技術は、それを完全に伝えることはできません。
なぜなら、それは使用者の「感覚」に依存するから。
どのように世界を感じ、それを脳のシナプスがどう理解し、そして手指にどのような力が込められているのか。それを人に伝える術は存在しないのです。
ですが、もし――ある人が長い時間の末に獲得した「身体性」を、完全に保存することが出来たなら?
本作品はこの仮定のもとに、偉大な音楽家の祖父に挑む女性ピアニストの姿が描かれます。
技術(art)と技術(technique)の果てに、たどり着いたもの、そこに現れた新たな壁――その姿はぜひ、作品の中で確かめてください。
虹の彼方の何処かに
作:雪星/イル
短篇(32,619字)
掲載サイト:カクヨム
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