未来自粛警察【今月分の未来さん・2021年1月分】

未来というのは100年後、1000年後に一気に来るわけではありません。
SFの中で語られるような「未来」は実は、毎日のように現れていたりします。
本コラムは、書評家の永田希さんによる、そんなリアルタイムな「未来」の月間まとめレビューです。

 昨今、新型コロナウィルスの流行にともない、ちまたでは感染拡大防止のためにさまざまな試みが実施されています。多くの人が街中ではマスクをつけ、建物や店に出入りするときには手や指を消毒し、帰宅すれば手洗いうがいを念入りにするし、会社などの勤め先に「出勤」したり学校に「通学」することは控えて、なにごともリモートで済まそうとしています。このような暮らし方は、新型ウィルスの脅威がいつ払拭されるのか不明な現在、「あたらしい普通の暮らし」つまり「ニューノーマル」として定着していこうとしています。

「新しい当たり前」

 人類は有史以来さまざまな疫病の流行にさらされてきました。20世紀に流行した通称「スペイン風邪」や、ヨーロッパや南米を地獄に変えたペスト、天然痘などです。病原菌の存在が発見され、ワクチンが発明され、防疫の知識が広く普及するようになって、人類は疫病に打ち勝つことができると考えられるようになっていたところに、今回の新型コロナウィルスの流行が始まったのです。

  かつては人類を脅かすと恐れられたエイズやエボラ出血熱への脅威が人々の記憶からようやく薄らいだかと思われた矢先のことです。今回の新型コロナウィルスの流行を耐え凌ぐために「ニューノーマル」の普及が唱えられていますが、手洗いうがい以外に、この新しい疫病に対してわたしたちが身につけることのできる「あたらしい当たり前」は何かあるのでしょうか。

 たとえば、スマートホンのように高機能化したスマートマスクとAR機能を内蔵したスマートグラスを組み合わせたスマートフルフェイスヘッドセットのようなものを毎日装着し、オンラインのアバターを起床ステータスに変更するのに合わせて、その日のスキンに着替えさせる、そんな生活が訪れるのでしょうか。

 コロナ以降の未来について今回は考えてみます。

 かつて、会社の打ち合わせや飲み会などは対面で行うことが「当たり前」でしたが、現在のそれはZOOMなどによって「リモート」で行うことが望ましいと考えられるようになりました。

 クラブやライブ、トークイベントなどもできるだけ「現場」ではなくやはり「リモート」で楽しむことが理想的とされているます。しかし、これは防疫上の理想であって、多くの人たちはいまだに「対面」で話すことが良いことであり、それでなければ得られない体験があると考えています。

 防疫の観点から理想とされている「リモート」の実践は、ZOOMだと話しにくい部分があったり回線やハードの不具合があったりで、徐々に飽きられ不満の声が大きくなってきています。コロナが流行し始めてもっとも多くの人がつらく感じているのは、このリモートによって飲食店やイベントスペース、観光地や故郷への里帰りにハードルが生じていることでしょう。

ニューノーマルと自粛警察

 東京などの都市圏で感染者が増え続けている一方、地方にまだウィルスが「普及」していないことによって、観光や里帰りで地方に出向いた人が意図せずに感染を拡大させてしまうようなことがあると、地方独特の陰湿さが噴出します。多くの人や文物が流入し混合することを本質とする都市部とは反対に、外来の人やモノを忌避しがちな地方にウィルスが持ち込まれた場合に生じる敵意や暴力性は相当なものです。

 ウィルスを地方に拡散させてしまったと見做された人は、あらゆる手を尽くして個人情報が暴かれ、勤め先への嫌がらせの電話、自宅や親類縁者への誹謗中傷の嵐に晒されることになるといいます。この現象は地方出身者のあいだではよく知られており、帰省シーズンでも敢えて地元に帰ることを断念する人も多かったようです。

 このようにコロナウィルスに感染することへの恐怖だけでなく、その保菌者となって他者の感染を媒介してしまう恐怖、そのことによって地域から袋叩きに遭う危険性など、現在を生きる人々が抱える不安は枚挙に暇がないほどだといえるでしょう。そんななか、きかれるようになった言葉が「自粛警察」です。

 先述のとおり、新型コロナウィルス感染拡大を防止するために飲食店やイベントスペースでは営業時間を短縮したり臨時休業を余儀なくされています。店舗のオーナーが他の手段で資金を得ていたり、十分な貯蓄をしている場合には、この営業時間の短縮や臨時休業による機会損失を補填することもできるでしょう。機転をきかせて、これを機会に新しいビジネスを成功させる業者も稀に見受けられます。しかしコロナ前からいわゆる自転車操業だったところはこれを機会に店をたたむしかなく、閉店のためにさらに負債を抱える場合もあるようです。

 このような苦しい状況にあって、国や自治体からは「自粛の要請」が行われました。自発的に営業を影響を控えるという「自粛」を、行政が「要請」するという矛盾に対して多くの人がツッコミをしましたが、問題は語義の矛盾ではありません。公的に「自粛が求められる」という事態になったため、店舗は収入の機会を自ら捨てる「自粛」を迫られることになったのです

 店舗が自粛をしない場合、「自粛」を本来の意味で捉えるならつまり単に当たり前の状態なのですが、その店舗は感染を拡大する「悪」であると考える人が現れることになります。そのような「悪」は、人類のために罰されなければならない、こう考える人が「自粛警察」と呼ばれることになります

個人的なものは政治的?

 公的な機関つまり行政からの「要請」という、いわば「お上のご意向」に反して、公共の利益を脅かす不届き者、自粛警察からそのように見做された店舗はSNSで攻撃を受けたり、本物の警察に通報されたりとさまざまな嫌がらせにさらされることになります。

 SNSをはじめとするインターネットは、かつて「公器」とされた新聞などの印刷や放送メディアに代わる公共機能を持ちうると期待されていました。企業や政治家の汚職、ハラスメントの告発やデモの動画配信によってある程度はその草の根運動の役割は果たされているのですが、「自粛警察」現象は逆の機能を持っていると言えるでしょう。これは、サイバースペースという超現代的、近未来的とすら思われるインターネットが、まるで前近代的な陰湿な内ゲバの世界になりつつあることを意味しているかなようです。

 ひとりひとりでは微々たる力しか持ち得ない個人が、SNSなどのインターネットを介して連帯し、既得権益にあぐらをかいて弱者から甘い汁を吸い上げる人々に抵抗するというかつてのモデルが瓦解して、困窮しつつある店舗を、不安に怯える別のユーザーが叩くという弱者同士の同士討ち状態になっているのです。

 かつて、既得権益層が社会を牛耳っているのに対して「個人的なことは政治的なこと」をスローガンにして「持たざる者」が連帯して抵抗したり蜂起することを呼びかける運動がありました。現在では「個人なこと」はバラバラに分断され、持たざる者同士が同士討ちをするしかなくなっているのでしょう。SNSはリプライなどによる直接攻撃と、個人情報を晒すような間接攻撃の場となり、店舗も客も、そのような攻撃に怯えて日々を過ごすようになりました。

 かつて個人が政治に対立すると考えられていた時代には、行政に対する批判は連帯した個人が表明するものでした。新聞はそのような意見形成の場として機能することを期待されていました。インターネットは、その黎明期にはこの機能をさらに強めるだろうと思われていたのです

 WikiLeaksや、先に触れた連帯の道具としては政治的に活用されつつあるインターネットですが、他方で分断が加速され、もはや細断と言えるほどまで個々人は孤立しているように見えます。所属できる仲間を持たない、細断された個人は、攻撃することで自身の生活基盤を貧しくすることを忘れて地元の店舗を攻撃する自粛警察になっていくのです。

 この細断現象は、リモート技術の発達によって一層深められていくでしょう。連帯しないバラバラの個人は、かつて天の意思と思われていた天災に翻弄されるしかなかった人たちのように、本来は人災であるはずの行政の手落ちを批判することなく、不毛な同士討ちに血脈をあげるしかないのです。

 ヴィジランテという言葉があります。そのイメージは、司法が裁けない「悪」を闇に紛れて成敗する映画『ダークナイト』のバットマンに代表されます。しかしこれは法治国家と対立する「自警行為」として問題視されるものでもあります。未来の「自粛警察」は「警察」と呼ばれながら、その実態はこのヴィジランテ、つまり自警団に近づいていくと思われます

 近い未来、行政の範疇を超えて独自判断で過剰な自警行為に走る「自粛警察」たちを取り締まる「反自粛警察法」が採択されるでしょう。このことにより、自粛を他者に強要したくてたまらず、彼らにリンチ(私刑)をしたくてどうしようもない人々は地下へと潜伏し、『ダークナイト』のバットマンのように闇に紛れて暴力行為に勤しむようになります。

 「反自粛警察法」の施行に伴い、地下に潜り先鋭化した自粛警察が凶暴化します。ハッキングで個人情報をブッコ抜いたり、SNSや電話で嫌がらせをするばかりではなく、暴徒のように店に押し入り破壊行為をしたり、トラックで店に突っ込むなどの過激な「制裁」を辞さなくなることも考えられます。

 これに対し、もともとの「警察」も手をこまねいてはいません。「反自粛警察法特殊部隊」が結成され、日夜、自粛警察の破壊行為と戦うのです。新型コロナウィルスという「見えない敵」に対して、一致団結して立ち向かわなければならない時に、人類は自粛警察と「反自粛警察法特殊部隊」に分かれて互いを傷つけ合うのです。このような戦いを横目に、未来のわたしたちは「新しい日常」を送るのです。ウィルスの脅威が消滅するその日まで……。

コメント

タイトルとURLをコピーしました